悲しい児童虐待のニュースに、今 日本中の皆さんが、
悲しみに胸が張り裂ける思いでいることと思います。
東京目黒区で今年3月、わずか5歳の女児を両親が虐待し、
衰弱させ死に至らせるという目をそむけたくなるような事件が起きました。
すでに逮捕されているのは継父と実母です。
この二人、何故このような非道なことをしたのでしょうか?
本当か?そのまでするのか?と疑いたくなる事件です。
虐待には、物理的虐待・性的虐待・ネグレクト等が主なものとしてあります。
しかし、どれも社会的に圧倒的弱者に対する行為として決して許されることではありません。
今回は主に『しつけ』と称して、
冬の寒い中シャワーの冷たい水をかけるといった物理的虐待や
育児放棄などのネグレクトがあったとされています。
ネグレクトは単に育児放棄だけではありません。
女児の切ないまでの訴えに全く耳を傾けない行為は酷いと言わざるを得ません。
<結愛ちゃんの手紙>
もう おねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにおなじことはしません ゆるして
もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします
自分が未熟であったり、忙しいことを理由に真剣に叱るといったごく当たり前の“しつけ”が
出来ない親が増えています。
つまり、親が真正面から子どもと向き合っていない親、
わが子を正しく愛せない親が増えているのです。
似たような事件は、つい最近埼玉県でも起きました。
継父が電気コードを使って、小学校4年生の息子を殺害するというものです。
「本当のお父さんでもないくせに」
児童の言う表現を受け止められなかった父親の衝動的(発作的)犯行のようにも見えます。
子どもの日頃の小さな不満に耳を傾けていないのです。
これも、全く子どもを見ていないように思えます。
米国のユダヤ人の作家、 エリ・ヴェーゼル(ノーベル賞作家)がこんなことを書いてます。
【愛の対極にあるのは憎しみではない。
無関心である。
美の対極にあるのは醜さではない。
無関心である。
平和の対極にあるのは戦争ではない。
それもまた無関心である。
生のたいきょくにあるのは死ではない。
無関心、生と死に対する無関心である。】
“無関心”こそ、悲惨な事件が頻発する現代社会に問われている問題ではないかと
考えさせられる日々です。
就労移行支援施設すずかぜ
講師 大城 豊